父方の祖父は寡黙な人だった。
父の実家に親族が集まる時は、決まってリビングの上座で黙々と食事をしていた。
孫の私にとっては近寄り難い存在で、祖父に会うのはいつも緊張した。
どこかに連れて行ってもらった記憶もないし、何か楽しい話をした思い出もない。
そんな祖父が、誕生日でもクリスマスでもないのに、
なぜか私にだけプレゼントをくれたことがある。
2つの小さな陶器の人形で、それぞれフルートとバイオリンを奏でている。
それは私が学校のオーケストラでフルートをはじめたことを聞き、
会社の近くのデパートでたまたま見たものを買ってくれたのだった。
小学生への贈り物にしては高価なもので、驚いたことを覚えている。
不器用な祖父なりの、孫に対する愛情表現だったのかもしれない。
祖父が亡くなって、四半世紀が過ぎた。
写真に興味を持ち始めてから、押し入れを漁って、祖父のカメラをみつけた。
生前、祖父がカメラを持っている姿を覚えていないので、
おそらく動かしたのは30年以上ぶりだったろうが、とてもよく撮れた。
そのカメラで、祖父にもらった人形を撮ってみた。
祖父が会うことは叶わなかった、彼の血を受け継ぐ家族の写真を撮った。
そして数十年ぶりに祖父の家があった街を、そのカメラを連れて歩いた。
駅は地下になり、ロータリーはきれいになって、
街の雰囲気はすっかり変わっていた。
しかし、両親や姉たちと何度となく歩いた緩やかな下り坂が、
私を迷わせることなく、祖父の家があった場所まで連れて行ってくれた。
建物は変わっても、地形は変わらない。
姿や名前が変わっても、私が祖父の血を受け継ぐことは変わらない。
これからも私は、このカメラで撮り続けるだろう。
それは時を超えて、先人と同じ視点を共有することであり、
私が存在する意味を見つめ直す行為でもあるのだ。